映画「パッドマン」に見るインド文化の穢れと女性蔑視

映画「パッドマン」に見るインド文化の穢れと女性蔑視

こんにちは!

今日は、映画の中でかいま見えたインドにおける穢れや浄・不浄の概念、女性蔑視、恥を重んじる文化について書いていきたいと思います。

パッドマンのあらすじ等を復習したい方は昨日の記事を読んでみてください!

インドにおける穢れの概念

まず、ストーリーのメイントピックが生理ということで、インド国内のみならず日本にとっても少し構えてしまう内容だったのではないでしょうか?

 

えこ
実際映画を見始めるとそんなことはないのですが

映画を見てもらえば分かる通り、女性の生理の問題について首を突っ込むラクシュミは村人からも、そして彼の妻であるガヤトリからも奇妙な目で見られてしまいます。

そもそも、なぜ女性は生理中に隔離されなければならないのでしょうか?

そこにはインド社会に浸透したヒンドゥー教の浄・不浄という概念があり、その中で血というのは死と並び最も穢れている(不浄な)ものとされてきたからという理由があります。

ヒンドゥー教の浄・不浄

死や血を不浄なものと考える思考は他の民族にとっても直感的に納得出来ないものではありません。

ただ、インドではそれが少し独特で、例えば、馬や羊の糞は不浄でも牛の糞は浄だったりします。

ガンジス川で人々が沐浴する姿も有名ですが、あれも聖なる川とみんなが思っているからそうするわけですね。

しかし実際行ってみればわかりますが、いくら聖なる・・・と言われても上流で人骨が流され人々が体を洗った水は見るからに汚水です。笑

聖なるガンジス川

すでに述べたように死は不浄とされていたため、死にまつわる一切の仕事は低カーストの人々がやらされました。

よって低カーストの人々も不浄である、穢れているとされたのです。

というように、私達には直感的に納得できないインド独自の浄・不浄観を持っています。

穢れの汚染

不浄なものの穢れは周りを汚染すると考えられていたそうです。

なので、穢れの少ない上流階級の人々は穢れているとされる低カーストの人々に触れないし一緒に食事もとらないということが起こります。

映画中でも、みんなが沐浴をするような聖なる川にラクシュミは動物の血のついた状態で入ってしまいました。

それは、浄・不浄の概念に則るととんでもない行為だったということがわかります。

生理中の女性を隔離する、というのもその穢れがうつると考えられていたから。

ヒンドゥー社会の理想の生活規範を記したマヌ法典というものがあります。

そこには、こう記してあるそうです。

バラモンたるもの、「月経中の女と話してはならない」(四・五八)とか、「月経中の女の触れたもの(食物)や、出産後十日未満の不浄な女に用意された食べ物を食してはならぬ」(四・二〇八)、(四・二一二)と規定されており・・・

引用:ヒンドゥー教-インドの聖と俗

※バラモンとは、カーストの最上位に当たる身分。カースト制度については下記の記事に書きました。

【インド宗教】カースト制度とは?基本から疑問点までをまとめてみた!

リベラルな人も増えこのような考えは減ってきているのかなとは思います。

しかし、同じくヒンドゥー社会である隣国ネパールの田舎でもまだこのようなニュースが最近でているので、インドでも状況は同じなのではないかなと思っています。

実は日本にもあった?

わずか数十年前の日本にも、女性の生理を、血を不浄視する慣習があったそうです。

月経も「さわり」とか「よごれ」などと呼ばれて不浄視され、漁村や農村では、生理時の女性が海に出たり、農具に触れると不漁・不作を招くとして行動を規制された。

引用:ヒンドゥー教-インドの聖と俗

確かに、女人禁制なんていう神聖なスポットとかTVで見たことある・・・

という意味で、この生理中の女性を不浄視する慣習は日本人にとっても全く無縁とも言えないものなのです。

インドにおける女性蔑視の文化

インド人の女性

ラクシュミと離れざるを得なくなったガヤトリは、実の兄に引き取られて彼の家に住み始めました。

兄が自分の妻に対して怒鳴りつけるような態度をとっているシーンがあったと思います。

実生活を見てみると、女性蔑視の文化が根付いている様子がいまだに見受けられるのではないでしょうか。

パートナーがなくなった場合に、男性は再婚しやすいけど女性が再婚すると白い目で見られたり、女性からは離婚を申し出ることができないのに男性が一方的に追い出すことはできてしまいます。

古典に記される女性蔑視

古来より、ヒンドゥー教では女性は男性よりも下位に位置づけられてきました。

ヒンドゥー社会の理想の生活規範を記したマヌ法典では女性は生来より宗教上のシュードラ(奴隷)と記されていたようです。

古代の聖典リグ・ヴェーダにはこう記されているそうです。

「・・・女人の心は教え導き難いものである。その知性は軽薄である。」(八・三三・一七)

引用:ヒンドゥー教-インドの聖と俗

なぜ女性蔑視が始まったのか?

これは、違う文献を読んでいた中で書いてあり私がなるほどな、と思った内容ではありますが。

かつて、インドにはドラヴィダ人という種族が住んでいましたが、西からアーリア人という種族が侵攻してきてドラヴィダ人に勝利しヒンドゥー社会を作り上げたとされています。

昔の武器と防具

アーリア人は自分たちが有利になるようなヒンドゥー教、カースト制度を作り上げました。

そしてドラヴィダ人を自分たちよりも下位に位置づけました。

侵攻してきたわけなので、アーリア人のほとんどが男性であり女性は元来よりその土地に住んでいたドラヴィダ人しかいません。

よって必然的に、アーリア人のつくった社会では地位が低くなってしまった。

始まりはそこなのかなと思います。

感想

映画って、本当に素晴らしいなと改めて思ったんです。

だって、言うなれば不浄なことを扱う映画であるパッドマンがインドで大ヒットしているという事実が、リベラルな人々の存在と過去の慣習への反対を示している気がします。

そして、私がこの間の滞在で映画館に行ったときは、本編が始まる前の広告の時間にパッドマンの1シーンが使われたナプキンのCMが流れてるんですよ。

映画は、固定観念や負の事象に対して問題提議をできる存在なんだなあと、改めて思いました。

そして、恥の文化についても調べてまとめたかったのでおいおいまとめていきます!

現代インドのこういう文化の現状も書けるようにしていけたらと思います!

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